伝説の女性

 平政子は「平塚」の地名の由来とされる「平塚の塚」の言い伝えに現れる女性です。平政子は桓武天皇3代の孫、高見王の娘とされています。そして、東国に下向する途中、天安元年(857)2月25日、平塚で没したといいます。そこで、彼女のひつぎを埋めて塚を作ったところ、塚の上が平らであったことから「平塚」の地名が起こったとされています。 虎は平塚宿の遊女夜叉王と宮内判官家長との間の娘であり、父没後は母と一緒に暮らし、平塚宿で遊んでいたが、容姿が良いので大磯の菊鶴という遊女に乞われて養女になりました。虎は17歳の時、20歳の曽我十郎と出会い、恋仲になりました。しかし、その後、十郎は敵討ちを果たしますが、討死してしまいます。そのため、虎は19歳で出家し、鎮魂の廻国行脚した後平塚の山下の地に庵を結び、64歳で亡くなったとされています。 お菊は、平塚宿役人真壁源右衛門の娘で、江戸の旗本青山主膳方に奉公中、家宝の皿を紛失したと濡れ衣を着せられ、手討ちにされたといいます。この事件は元文5年(1740)2月のことで、後に怪談「番町皿屋敷」のモデルになったと言われています。しかしながら、この事件を伝える当時の資料は残されていません。また、類似した話は全国に分布して存在しており、平塚がオリジナルではないと思われます。 お初は、平塚宿の百姓松田久兵衛の娘で、荻野山中藩の江戸屋敷の中臈岡本みつの下に奉公中、主人みつが同輩の沢野から侮辱を受け自害したので、直ちに沢野を訪ね、刺殺して仇を討った烈女とされています。そして、この事件は後に歌舞伎「加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」のモデルになったと言われています。

一部転載:https://hirahaku.jp/web_yomimono/hirareki/hirareki07.html

 

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