中原小学校正門横に「相州中原御殿之碑」が建っています。
御殿は東西約190m、南北約110mの広さで、東を正面にし、四方には幅約12mの空壕をめぐらしていました。建設は慶長年間(1596〜1615)といわれています。家康は足繁く中原御殿を訪ねています。家康が鷹狩りを好んだことは有名ですが、『新編相模国風土記稿』には、慶長12、16、17、18年等々に御殿に滞在したことが記されています。
中原小学校の正門から東へ通ずる今の道路は、昔の中原御殿大手門からの道路でした。
『大野誌』によれば、中原街道は大手門を起点とし、東へ170m行き、慈眼寺からの道路とぶつかって北上し、真土、四之宮、田村の渡しへと続いていました。大手門前の道路は、幅4間(7.3m)であったといいますから、現在の広さとあまり変わらず、当時としては広い道路であったと思われます。
また、『大野誌』には「中原御殿の南側の道路は中原街道でもあり、調馬場を兼ねていました。くだっては東照宮の縁日にこの道路上で草競馬が行われていた」とあります。この土地の古老は、この道路を今でも「鉄砲馬場」と呼んでいます。
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